ノリックが亡くなった。
沼田さん、奥野選手の悲劇が立て続けに起き、岡山国際のレースが終わったばかりで、その悲報にとても驚きショックを受けた。
沼田さん、奥野選手の悲劇から1ヶ月、悲しい知らせはもうこれ以上はと思っていた矢先の出来事だ。
しかもレース中のアクシデントでなく、交通事故に遭っての出来事で、ショックはなおさらだ。
ノリックは僕と同い年だ。
もちろんロードレースの1ファンの私とは何のつながりもないが、彼がデビューして世界への階段を駆け上がる姿は、同じ世代の日本人として、
ヒーローであり、またとても身近な存在だった。
彼と同じとは言えないまでも、自分がやりたい事に対し、彼のようなレベルに辿りつきたい。
自分と同い年である事でとても身近に感じた訳だが、それ以上に彼のひたむきさと情熱があったから、強くそう思ったのかもしれない。
沼田さんの悲劇から、このサイトでも何度も言っているように、自分に出来る事を何度も考えた。
そして、ロードレースを盛り上げる活動に微力ながら参加しようと、行動を起こした。
行動が形になるのはもう少し先だが、形になったらノリックと話をしたいと強く思っていた。
それは、ノリックがロードレースの事をとても真剣に考えるだけでなく、ノリック自身がアクションを起こす責任を痛感していたからだ。
ノリックの発言を聞くと彼の責任感の強さを感じる事が出来るが、僕が彼の考えに惹かれたのは、ちょうど1ヶ月前9月8日、 、、、沼田さんの告別式だった。
多くの関係者、ファンが参列した沼田さんの告別式に、もちろんノリックもいた。
親族の後ろに集まる参列者の中、ノリックは一番前で独りで立っていた。
皆より人一人分前で立ち、沼田さんの遺影から目を離す事は無かった。
彼の姿と眼差しが、色々な責任を背負うようであった。
だからこそ自分の行動が形になった時、全く違う環境ながらも同じ年月生きてきたロードレースを愛する者として、
ロードレースを盛り上げるために一体何が出来るのだろうか話したかった。
僕は神を信じない。
だが神がいるのなら問いたい。
なぜこうも神は不平等なのか。
そして、2007年に3人の犠牲をはらい、ロードレースという世界に何を望むのか。