danna labo. vol.3

08全日本ロードレース選手権 筑波GP(前編)

    [mutter]

私的にF1トルコGPは注目する所も少なく、今週末は全日本ロードレース選手権 筑波GPに力を注ぎました。
昨年は沼田さんに会いに行きましたが、今回も会いたい人がいて筑波サーキットに行きまして、結構内容盛りだくさんなので、今回は前編、中編、後編で報告したいと思います。

ということで、まずは前編の菊池寛幸選手にお会いしたレポートを。

全日本ロードレースファンであればご存知の菊池選手。
GP125一筋で、1993年より全日本ロードレース選手権GP125に参戦され、2005年には全日本ロードレース選手権GP125クラスのチャンピオンを獲得された、日本を代表するTOPライダーです。
前回の沼田さんと同様にイラストを制作して、イラストをお渡しすると共に、ちゃっかり自分用のイラストにサインを頂きました。
菊池選手は昔レース観戦をしている時に時々見かけましたが、今回イラストを描かせてもらった経緯を少々お話しします。

菊池選手のイラスト

前述の通り、菊池選手は昔に何度か見かけましたが、初めてお話させて頂いたのが、 沼田さんの告別式後、帰りの駅のプラットフォームでした。
告別式が終わって、電車待ちをしている私の側に、稲毛田選手と菊池選手が同じく電車を待たれるためにいらっしゃいました。
思い切って声を掛けたんですが、その時の菊池選手の言葉がとても心に残り、イラストを描くに至りました。
沼田さんが亡くなるという悲劇を目の当たりにし、自分にとってのライダーの存在を色々考えていた状態で、 菊池選手からお聞きした話しは、沼田さんに対する想いとともに、
「レーサーは死と向かい合わせで走っていると言われるけど、 走っている時は死なんて考えず、早く走りたい、走る事が好きだから走るんだよ。沼(菊池さんは沼田さんの事をこう呼ばれていました)のような事があると死というものを考えちゃうけど。」
という内容でした。

菊池選手の仰った事はもっともなんですが、見ている私たちが変な美化をしているせいで、沼田さんと同じTOPライダーである菊池選手が仰った事がとても新鮮に聞こえ、ライダーとしての本音のようなものを垣間見た気がしました。そして、私たちが思っている以上にもっと人間くさく走っている事を知った事で、選手との距離がもっともっと近くなったような気がして、ロードレースの見方がかなり変わりました。
レースという非現実な世界で戦っている人だけど、ほんとうは自分とすごく近い存在。なんか、応援したいし、夢を託したくなりますよね。
こういった背景があり、菊池選手のイラストを描いてお渡ししたんですが、とても親切にご対応してくれ、一夜去った今でも感激しております。
また、今回お会いした時には、「何年後か先に全日本から引退しても、ミニバイクとかでずっと走り続けるよ」と仰っていて、 この情熱が以前聞いた言葉の裏づけのように感じ、ますますファンになりました。

区切り

菊池選手とのショット 菊池選手とのショット

さて、今回描いたイラストは、菊池選手が1999年のRd3 筑波GPで優勝した時のもの。
丁度その時私もレースを見に行ってまして、今回も優勝をという思いも込め作成しましたが、 菊池選手も「あー、99だよね、このイラスト」と仰いとても喜んで下さったようで、描いてよかったな~と。
沼田さんの時があったので、そんなに緊張しないと思ってたら全くそうでなく、 緊張しぱなっしで、イラスト渡す時なんかバタバタしてました。
ところが一緒に来ていた嫁さんは、知らない間にサインを書いている菊池さんを激写。。。
己の肝っ玉の小ささを、後になり痛感しました。。。(でもね~、話したのはあの菊池選手なんだから、緊張するよね~)

菊池選手とのショット

で、後編で詳しくは書きますが、筑波ラウンドのGP125は、何と菊池選手が優勝!
アクセルを開けて第2ヘアピンに加速する菊池選手の姿、FCCのフラッグをもってウィニング・ランをする菊池選手、全て鳥肌ものでした。
さらにレース後の菊池選手にもお会いする事ができ、左の通り2ショット。
イラスト渡す事ができ、菊池選手のレースに対する思いも聞け、さらには優勝も見ることができ、いやーほんと今回の筑波は菊池選手祭りでした。

長々となりましたが、前編はこれくらい。
次は、RAINBOW JAPANのシータカさんにお会いしたレポートを中編で報告したいと思います。

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